宝くじ高額当選と祖母の死

どもども、先日宝くじで100万円当たったp3です。
そして、その翌日祖母が亡くなりました。

高額当選

先週の帰りのことです。

妻に子供のオムツを買ってくるように言われ、ホームセンターに寄りました。
そのホームセンターは地元では結構大きいところで、宝くじ売り場もあります。
そこで以前、宝くじを買っていたことを思い出したのです。

(まあ、一応確認しとくか…)

そう考え、売り場にくじを持っていきました。
おばちゃんにくじを手渡し、こちらのディスプレイに結果が表示されますので、と言われる。

待つこと十数秒…

突然異音がっ!

ピー(だったかな?すみません、気が動転してあんまり覚えてません…)

ん?

画面には、赤字で高額当選の文字が表示されていました。

えっ?

えっ?

自分でも分かるほどの胸の鼓動。
明らかにテンパり出すおばちゃん。

隣でこちらに興味津々のおっさん。
そして立ち尽くすおっさん(ぼく)。

落ち着け

ちょ、ちょっと待てよ、これは何かの間違いだ。

そ、そう。
そうだ、きっとドッキリかなんかだよ。

「ごめんなさい、機械の不調で」とか、その類いだぞ。
よくある人を持ち上げるだけ持ち上げてきっと落とすやつだよ。

頭の中でグルグルと、というか下手したらブツブツ言ってたかもしれない。

「ごめんなさい」

突然おばちゃんが声を発する。

(あー、やっぱ機械調子悪りぃわ…)

「わたしなれていないもので」

(ん?てことは当たったのか本当に!?)

おばちゃんは名札をこちらに見せてきた。
そこには研修中と書いてあった。
そう、おばちゃんは日々の業務に不慣れで、当選者が出た時の対応に苦慮しているようだったのです。

「当たっているようです。」
「ただ、こちらではお支払いできませんので、みずほ銀行でお願いします。」
(いやいや、それって当たってるじゃん!!)

ど、どもりながらも、ぼくはおばちゃんに聞く。

「い、いくら?いくら当たったの?」

「ひゃ、100万円です。」

「おー」

(おーってなんだよ、まぬけなコメント)

ただ、その時の複雑な心境は言葉では言い表せない。

(なんだよ、億じゃねーのかよ…)
(まじか、100万円、うっひょ〜!!)

この二つの感情が絡み合い、そして一つになる。

そうです、100万円当たりました

この時後のおばちゃんの説明は、ほぼほぼ頭に入りませんでした。

100万円で何をするか?
あれ買おっかなあ。
嫁にナイショにしとこうか?

喜びを抑えきれないぼくは、ニヤニヤしながら買い物を済ませ車に乗り込みました。
ぜったいキモいヤツでした。

そしてiPadを取り出し、自分の目で当選を確認します。

うおー間違いない!
これはマジだ!
本当に当たってるんだ。

おれは持っている!
何かを持っている!

今まで何度か死にかけた事、殺されかけた事、色々あったけど死んでいない。
やっぱり、おれは持っている!!

そう、ぼくはギリギリの所で悪運が強いんですよー。

祖母の死

美しい朝

翌日ぼくは、早朝に目が覚め畑作業をしていました。

やはり、100万円当たった男は違います。
朝活です。

「トマト君、おはよう。」
「きゅうりちゃん、今日もきれいだね」

などと意味不明な事を呟きながら、愛情をかけて、お手入れします。
もう絵に描いたようなルンルンっぷりです。

明らかにいつもより世界が眩しく見えました。
美しい朝。
畑の野菜も輝いて見えます。

そう、ただ単に100万円当たって浮かれているだけです。

父からの電話

その時部屋から電話の音が聞こえます。

父からでした。
母方の祖母が危篤言う事、母は病院に向かっている事を告げられました。

一瞬でした。
一瞬にして美しかった世界は崩れ去り、光が遠のいていくかのように感じました。

急いで病院に駆けつけました。
ベッドに横たわる祖母は安らかな顔をして眠っていました。

おそらく、もう目を開けることも、呼吸をすることもありません。

(おばあちゃん…)

ベッドに近づき、ぼくは祖母の頬を撫でました。

(冷たい…)

正直ぼくはこの日が来る事を分かっていました。

会いに行く度に、生気がなくなって行く祖母。
もう何年も前に、ぼくの事など忘れてしまった祖母。

半ば生きていても祖母が可哀想だと思っていました。

自分が何者かも分からずに、家族、兄弟、親しい友人も思いだせず、ただ生きているだけ。
自分だったら耐えられないと思う。

だからぼくは、祖母はもう死んだと思うことにしていた。
完全にボケてしまった時に、祖母は死んだのだ。

そう考えるようにしていた。
そう、今祖母は死んだんじゃない、もう何年も前に死んでいたんだ。

でも、なぜですかね?
これって理屈じゃないですね。
悲しみは理屈を超えてやってきます。

不思議です。

ある疑問

病院からの帰り道、祖母が死んだのはひょっとして自分のせいでは?という疑問が生まれました。

(きっとおれが100万当てたからだ…)

常識的に考えてそんなことないですよ。

個人的になんですが、人生における、運や幸せの総量って決まっている気がするんです。

ただしそれは個人だけのものじゃなくって、他人からも貰うことができる。
そんな風に感じます。

10数年前、パチンコに誘われ時々行きました。

ぼくは必ず負けます。
友人は必ず勝ちます。

その友人は、同行する友人達の運を喰っていると言われていました。
事実、一緒に行った友人達はみんな負けていました。
運を食われたと。

少し話が逸れましたが、今回の件はぼくが運の前借りをしたのです。
祖母の運をもらって、100万円当たりました。
もしぼくが当たらなければ、祖母はもしかしたら数日は生きたのかもしれない。
そう思うと、当たった100万円がひどく汚い金に思えました。

葬儀のあとで

祖母の死に関して書きたい事は山ほどありますが、個人的な話がダラダラ続いてしまいそうなのでこの辺で…

ただ、ある時思いました。

これは、祖母からの最後の贈り物だと。
思えば、ぼくは祖母と一番仲の良い孫でした。
その祖母が孫にこんな思いさせるわけないと。

そう思うとこのお金は大事に使わなくてはならないなとも。

と言う事で大事に使うよ、おばあちゃん!!
やっぱ人間ポジティブさが必要ですよね〜。

ではでは。

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